原理原則 [原理原則]
物事には原理原則がある。
私たちの目や耳に入るのは、いままさに見聞きしている事象である。
その事象はほとんどが経緯の断片か、結論の一部でしかない。
本質に繋がることはあっても、そのものであることは稀である。
よって、事象にそのまま対応するのでは、反射的に反応しているのと大差はない。
だから、本質を見極める必要がある。
インプットされる情報を再構成したり、不足している情報を取得、類推するなどして、本質に対する仮説を立てる。
そして本質に対応するのである。
※事象が発生したその時々においてはもちろん、事象に反応することは大切であるが、本質を理解し、本質に対して考え、行動することが、構造に変化をもたらすのである。
人生について(第1回) / 「生き物」という事実 [人生について]
どこへ向かうべきなのか、どのように生きるべきなのか。
人生とは何か、生きるとはどういうことか。
誰もが一度は考えるであろう、このテーマ。
私も人並みに中学生の頃だっただろうか、このテーマに囚われ、思い悩んだ記憶がる。
明確な結論は出ないまま、なんとなく日々の生活の中に流されてしまった。
それから時々、脳裏をかすめることもあったが、やはりその都度目の前の課題解決に追われ、年を重ね続けていた。
幼いころは、あらゆる物事についての認識が不足している。
例えば、自身が社会に出てどのような暮らしを営むのかという個人的なビジョンでさえ、理想と現実が交錯しているし、そこに至るプロセスを把握・選択したり、実現性を判断する術も洗練されていないことが多いだろう。大人になっても迷うけど。
年を重ねれば重ねたで、情報が増える分、判断が難しくなる。
周囲は、国内は、そして世界では何が起き、これからどのような社会になっていくのか。貧富の差、政治体制の差、歴史的背景、紛争の有無、宗教人口など様々な要素によって、世界から見た自国の位置づけがどうなのか。
その自国の位置づけにおいて、自身がどのような道を選択することがベターなのか。
また一般的にベターであるとされていても自身がそれを良しと感じるのか。
自身の価値観がどのように変化するのかなど、読みようがないうえに、価値観と行動に矛盾があれば、我慢するのは難しい。
が、そんな雑多な思いを経て、最近ようやく少し判ってきたような気もする。
冒頭のテーマについての現在の私の思うところは以下である。
「何のために生まれてきたのか」についての答え。
「生き物として、生まれてきたという事実だけであり、そこにそれ以上の意味も、それ以下の意味も無い。よって思い悩む必要はない」
「どこへ向かうべきなのか、どのように生きるべきなのか。」についての答え。
「他者から与えられる、~すべき、ということはない。自身がどのように考えるかにかかっている。誰かの価値観に沿って向かうべき道を辿れば陶酔している間は素晴らしく感じるが、自身との乖離が出た時に拠り所がなくなってしまう。よって自身の価値観を明確にすることが重要である」
「人生とは何か、生きるとはどういうことか。」についての答え。
「私たちは生き物として生まれてきて、生き物として寿命を全うする。この点からいえば、私たちが”動物”と呼ぶ生き物と”私たち人間”とで何ら変わりはない。言いかえれば、人間という動物が生まれてから死ぬまでの期間が人生である。それに意味を見出そうとするのは高度に思考する人間であるが故のことであり、生命という軸で見れば動物と何ら違いはない。とすれば、考えることができることは幸福だ、とも思える。よって、人間が構築した社会の中で一定の社会性を持ちながら、変化する価値観とうまくつきあい、考えながら日々を生き、生命を全うすること、それ自体が人生であり、生きる事ではないか、と考える」
流動性 [今日の足跡(雑感)]
約1カ月ぶりの更新である。
iphoneを購入してから、iphoneの強化をひたすら続けて今日に至ってしまった。
やはり私は飽きが早い、もとい、良く言えば流動性が高い性質のようだ。
当blogで実現していた「旬のニュースクリップをいつでも手軽に参照できるようにする」ことは、iphoneとGoogleリーダーでシステム的に実現してしまったため、更新がおろそかになった。
自身の所感を交える事はしなくなった代わりに、大量のソースから情報を参照することができるようになり、情報処理の効率性は向上した。
が、私はここで「処理」に走り過ぎて思考停止してしまいかねない悪癖があるので、注意が必要である。
さて、この1カ月、新聞やネット上にある大量のソースを見て思ったのは、世の中同じソースで溢れかえっているということだった。
多くの情報提供サイトから同類の記事が同時刻~数日遅れで掲載されているため、大量のソースを参照していると類似するコンテンツにぶつかる。メディア、個人問わず、情報を垂れ流し合っているだけだ、と感じた。
思考して書かれたものは非常に少なくて、中長期の時間軸で継続して発信される記事などは希少である。
このことから、やはり個人の発信は重要なのではないか、と思う。
メディアも非営利でやっているのではない訳で、どうしてもビジネス的な観点が入る。
旬でインパクトのあるもの中心の発信になることは否めない。
客観的に(あるいは主観的にも)ひとつの事象や興味の対象について継続的な視点で考えたものを発信するのは、発信者側にも発信・記録のメリットがあり、後で閲覧する方にも思考を助けるソースとしてメリットがある。
よって、そのような行為には自分自身の為のみならず、インターネットメディアの中でも意味がある行為であるのではないかと感じた。まぁ、そんなたいしたものではないのだが。
私の図らずもの流動性をなんとかプラスに活かし、そこに継続的な視点での情報整理を結びつけた発信ができれば面白いかな、と思い、今後はちょっと発信の趣向を変えながら続けてみようと思う。
変身企業 収益構造の転換 富士フイルム [企業戦略について]
変身企業 収益構造の転換 富士フイルム
2009年10月17日 (日経)
熊本空港にほど近い熊本県菊陽町。富士フイルムホールディングスはここで、液晶パネルにかかせない偏光板保護フィルム(TACフィルム)を集中生産している。足元ではほぼフル稼働が続く。これまでの投資総額は1100億円を超え、年内には6ライン目が稼働する予定だ。
世界シェア8割
TACフィルムはカラー写真フィルムの基板層がベースだ。厚みはわずか80マイクロ(マイクロは100万分の1)メートル。溶液の組成や厚みを均一にする手法などは、写真フィルムで培った技術や人材をそのまま活用できる。世界シェアは約8割。2位のコニカミノルタホールディングスを引き離し、新たな収益源に育った。
TACフィルム関連事業の4-6月期の売上高は537億円。1-3月期に比べ7割近い増収で、前年同期比でも約9割の水準に回復した。家電購入を支援する中国政府の景気対策の効果で、液晶テレビの需要が大幅に増加したためだ。
かつての目標は「米コダックに追いつけ、追い越せ。」現像時間を短縮するために世界規模で現像所を展開する等、写真フィルム関連部門に経営資源を集中投下した。1999年3月期の部門売上高は8498億円、営業利益は765億円と、それぞれ全体の6割、5割弱を占めたほどだ。
しかし、2000年を境に風景が一変。デジタルカメラの普及で写真フィルム需要が減少に転じたからだ。同社は年率1割減で需要縮小が続くと予想したが、実際のペースは年25%減。想定を上回るデジカメの普及に伴い「写真フィルムに代わる新しい事業が必要」(高橋俊雄CFO)と判断した。
そこで同社が収益構造を抜本的に見直し、「第二の創業」を宣言したのが04年公表の中期経営計画だ。主力の写真フィルム関連部門を縮小すると同時に、医療や液晶関連部門、事務機部門の育成を表明した。
強化しているのは液晶関連のTACフィルムだけではない。医療分野では、06年10月に第一三共から放射線検査薬メーカーを買収。08年3月には総額1300億円強で医薬中堅の富山化学工業を買収した。強みを持つX線画像診断事業に加え、予防から治療までをカバーする「総合ヘルスケアカンパニーに飛躍する」(古森重隆社長)足掛かりを築いた。
先行きが注目されるのは、富山化学が開発中のインフルエンザ治療薬「T-705(開発番号)」。「タミフル」など既存の治療薬とは作用メカニズムが異なり、ウイルスが細胞内で増殖する時の遺伝子複製作業を阻害するのが特徴。近く国内で臨床試験の最終段階となるフェーズ3に入る。承認申請を経て「来シーズンの発売を目指す(古森社長)」考えだ。
利益率10%目標
事業構造の見直しにゴールはない。
売上高がピーク時の8割にあたる2兆3000億円程度でも、営業利益率10%を確保できる収益構造への転換が目標。昨秋以降の世界的な金融危機を受けて、今期は1450億円の構造改革費用を計上。49年の上場以来初の営業赤字に転落する見通しだ。
ただ、市場はなお構造改革の行方に半信半疑。PBR(株価純資産倍率)は0.7倍と、1倍を下回ったままだ。「構造改革が今後の利益成長にどこまで結びつくのか」(JRモルガン証券の森山久史シニアアナリスト)を慎重に見極めようとしている。
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本業である写真フィルムでNo.1となるため、追いつけ追い越せで経営資源を集中投下していたら、市場がデジカメメインに代わってしまった。
そこからの市場衰退率は想像以上の比率であり、事業転換は急務であった。
そこで既存のリソースを極力活用できる領域が、TACフィルム関連事業だったということのようだ。
買収した富山化学は新薬開発で市場に受け入れられれば、より事業構造が変化してくることになるだろう。
変化に柔軟な企業こそが、30年、50年の時を経て、100年超の継続する企業体となっていくとビジョナリーカンパニーでも言っていたように思う。
変化する市場に対して、成功体験を引きずって常に同じ事を繰り返していては事業を続けていくことは難しい。
これからは、今まで以上に柔軟な変化が求められる時代になるだろう。
内部統制2年目の課題 形式優先、実態伴わず [企業業績・会計・内部統制]
内部統制2年目の課題 形式優先、実態伴わず
2009年10月17日 (日経)
「リスク管理体制は”有効”に機能している」との内部統制の情報を開示した直後に、経営者や従業員による不正疑惑が発覚する上場企業が相次いでいる。
経営の屋台骨を揺るがしかねない不祥事の芽を摘み取る機能に重い不備があると開示した企業は65社にすぎず、実際はもっと多いとの見方もある。制度導入2年目の課題を探った。
「見せるだけ。交渉で使うから出してくれ。」大証2部上場のシンワオックスの前社長は4月、部下である財務の統括責任者に白地の約束手形を出すよう求めた。
同社が9月11日に開示した外部調査報告書は、店舗の売却代金の一部が前社長の「独断」で流出した経緯を描き出す。前社長は債務の支払い猶予の交渉をするために手形が必要だと説明。財務責任者は一度は拒否したが「社長命令には従わざるを得ない」と考えた。
開示資料によると前社長の行方は不明で、横領の可能性があるという。
報告書の公表わずか2カ月あまり前、前社長は同社の内部統制は有効だと投資家に開示していた。「経営トップが暴走を始めると内部統制はほとんど機能しない」(リスクコンサルティングのプロティビティジャパンの神林比洋雄社長)
内部統制を構築し投資家に開示する制度はエンロン事件を契機に米国で導入され、カネボウ事件を受け日本でも09年3月期から始まった。米国では初年度に16%(プロティビティジャパン調べ)の企業が「重大な欠陥」を開示したが、国内では2%。一方、有価証券報告書の訂正は1-9月で1231件、従業員の不正や不適切な会計処理の発覚も後を絶たない。
内部統制の評価の対象外とした部署や子会社で従業員の不正が発覚した企業もある。土産物店経営のタカチホは、従業員が金券計約2900万円を不正に転売したことが5月に発覚。上司が弁済を優先させ、7月上旬まで経営陣に報告せず、開示は内部統制報告書提出後の7月17日だった。
問題のあった部署は売上高が全体の2%未満で内部統制の評価の範囲外。
金融庁によると、範囲外から欠陥が見つかっても内部統制の評価結果を訂正する必要はない。
包装用素材製造の大石産業では子会社の従業員が過去5年にわたり、パソコンを不正に転売した事実が発覚した。3400万円(総資産の1%未満)の実態のない在庫が判明した。
企業の開示に詳しい武田雄治公認会計士は「金額が小さい部門での見落としは起こりうる」と警告する。
武田会計士は「企業が形式的に基準にあてはめて欠陥の有無を判断し、ほぼ画一的な内容で開示するだけでは投資判断の材料になりにくい」と話す。プロティビティジャパンの神林社長も「問題を速やかに開示し修正する方が投資家から信頼される」と指摘する。
▼内部統制
正確な財務報告をする体制が整っているか経営者が自己点検する制度。
上場企業は2009年3月期から「内部統制報告書」の開示が義務付けられた。
全部を点検するわけではなく、連結売上高の3分の2を占める主要部門などで、どの程度のリスク管理体制があるか外部に見えるようにして投資判断材料にしてもらう。
▼内部統制報告書の仕組み
経営者が業務手続きを文書化してリスクを洗い出す
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経営者が社内のリスク管理体制が有効に機能しているか点検し報告書を作成
※これを会計監査人が監査し、意見表明
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決算期ごとに有価証券報告書とともに提出し開示
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「日本の内部統制報告制度(俗称J-SOX)は、米国で課題となった企業への過大な負担を軽減し、かつ内部統制実現し、投資家保護と、健全な株式市場の形成に寄与する。これは、日本発の世界のモデルとしたい」
と言うほど勢いのあった企業会計審議会に、この結果はどう映るのか。
だが、この日経の記事の書き方も少々「マスコミ的」ではある。
なぜなら「内部統制にはそもそも限界があり、企業「内部」の統制であるが故に、経営者自身には統制が効かない。」などということは、そもそも当初から関係者内では認識されていることであって、いまさら取り立てて言うことではない。
同様に取締役会の機能不全や、監査法人への発注者が企業(つまり経営者)であることにより独立性が担保されていないことなどが、そもそも背景にある課題である。
まぁ、だから内部で統制しろ、という話なのだが、その内部統制の品質を担保するのが監査法人であるために、結局本質的な構造は変わっていないとも言える。
健全な株式市場の形成や投資家保護という目線と、資金調達や株価上昇という目線は、似て非なるものである。立場が違えば思惑も異なる。
かつ、今回の法改正に伴い、アドバイザリーのビジネスで多大な収益を獲得した監査法人の目線もまた、少々異なっているように思う。
私自身も、大手監査法人の監査人と直接やりとりを行う機会が多くあったのだが、内部統制に関する姿勢は監査法人ごとに異なり、かつ同一監査法人内でも監査人による差異が出ていた。
さらに、企業側としては、アドバイザリー契約を締結して財務諸表監査以外のコストを監査法人に支払っているにもかかわらず、監査法人の判断が2転3転し、付き合わされたという企業も少なくない。
そのような企業の主体性にも問題が無い訳ではないし、内部統制報告制度の根幹となる金融庁企業会計審議会から提示された実施基準は解釈に幅が出やすい内容となっていたことも背景にある。
とはいえ、今回の、制度に対して形式優先となった理由の本質的なもののひとつには、企業会計審議会が公開した実施基準は「経営者主体」で書かれているものの、実際にはそのような企業は僅かだったということが言えるのではないだろうか。
具体的にいえば、管理部門(の中でも経理・財務部門が中心)がプロジェクトオーナーとして内部統制プロジェクトを牽引し、経営者は監査法人の質問に回答できる準備をする、といったところだ。
このような受動的な状態では、そもそも評価範囲内の組織体であっても形式的になりやすいうえに、評価範囲外の組織体は管理部門のみが関与し、その現場部門などにおいては内部統制の意味すら伝わっていないところも少なくないのではないか。
しかしながら、このような法改正に伴う大規模な取り組みを無駄にしてはならない。
企業、市場、政府ともどもプラスの着地となるよう、これからの軌道修正に期待したい。







